2009年06月19日

円石藻(えんせきそう)は、細胞表面に

円石藻(えんせきそう)は、細胞表面に円石と呼ばれる円盤型の構造を持つ植物プランクトンである。分類学上はハプト植物門に属する単細胞真核藻類である。

円石藻はすべて海産で、世界中の海洋に広く分布している。細胞直径は5?100μm程度、細胞内に葉緑体を持ち光合成を行う独立栄養生物で、外洋における重要な一次生産者である。細胞の表面に炭酸カルシウムの鱗片である円石を持っており、これにより他のハプト藻と区別される。しかしながら円石藻は単系統のグループではなく、ハプト植物門の中で幾つかの系統にまたがって出現した事が知られている。
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円石藻は円石の形態により容易に種の同定・区別が可能であり、現生のものだけでも60属以上が知られている。また円石藻は微化石として大量に出土する為、現生種の何倍もの化石種が記載されており、層序学の分野においては示準化石として利用されている。加えて、円石の形態が円石藻の生育環境によって変化する事を利用し、示相化石として古環境の復元に用いられる事もある。

円石藻は光合成生物であり、海洋の有光層で生活する。円石藻の多くは貧栄養の外洋を好み、高密度で存在する事は少ない。例外的にイソクリシス目の Emiliania huxleyi や Gephyrocapsa oceanica は富栄養環境に適応しており、沿岸域・外洋域をとわず大発生する事がある。北大西洋などでは前者が、太平洋の日本近海では後者がブルームを形成する事が知られている。

円石 [編集]
円石(えんせき、coccolith、コッコリス或いはココリスとも呼ばれる)は、円石藻の細胞表面を覆う炭酸カルシウムの構造である。形は円?楕円の円盤型が最も一般的であるが、棒状のものやカップ型のもの、王冠型のものなど多岐に渡る。Syracosphaera 属など一部の円石藻では、一つの細胞が複数の種類の円石を持っている事もある。円石が細胞の周りを覆って形成する球体全体をコッコスフィア(coccosphere)と呼ぶ。

2009年06月01日

日清戦争

日清戦争(にっしんせんそう、中国語:甲午戦争、第一次中日戦争、英語:First Sino-Japanese War)は、1894年(明治27年)7月から1895年(明治28年)4月にかけて行われた主に朝鮮王朝をめぐる日本と清国の戦争。日本での正式名称は明治二十七八年戦役(めいじにじゅうしちはちねん せんえき)。

日清戦争は明治維新後近代国家形成をめざす日本と1860年代から洋務運動による近代化を進める中国(清朝)との間で行われた、朝鮮等をめぐる両者の全面戦争であり、また歴史的にも日中間の大規模かつ長期に渡る戦争としては最初のものである。

古代朝鮮三国時代 (朝鮮半島)の百済復興のための新羅・唐連合軍との白村江における敗戦、元 (王朝)朝およびそれに服属する高麗による元冦と豊臣秀吉の朝鮮出兵を除けば、これらの三国間で日本が関係した戦争は歴史上きわめて少ない。それはこれらの三国が古墳時代以来朝鮮半島の国々を経て日本に伝播してきた漢字、儒教、仏教、律令制などの文化を共有したこと、さらに巨大な帝国だった中国諸王朝が中華思想、華夷秩序に基づいて周辺諸国を冊封して朝貢関係を築き、それが経済交流と外交秩序の一定の安定を東アジアにもたらしたことにもよる。
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満州の女真族が建てた後金が国号を清と改め1644年北京に遷都し、やがて広大な領土支配のため北部と西部方面の辺境地域を藩部とし南のネパール、ビルマ、シャム、越南(ベトナム)、東の朝鮮及び琉球(なお琉球は日本側とも冊封関係にあった)を冊封して清を中心とする国際秩序をアジアに構築、北辺ではシベリアに進出したロシア帝国との間に条約を締結して国境を漸次確定した。

朝鮮王朝は1392年李成桂が高麗を滅ぼし建国。のちに明の冊封を受け明にならい朱子学を国教とし科挙を実施、官僚制中央集権国家を形成する。その過程で科挙に合格し官僚を独占し世襲化する両班制が成立した。明が清にかわると朝鮮国王に「三跪九叩頭の礼」を強いるなど冊封国としての関係を強めた。

秀吉の朝鮮出兵は「鼻を削いで首にかえよ」という残虐な侵略戦であったため長く朝鮮民衆の間にその非道が語り継がれたが、徳川幕府は朝鮮王朝と対馬の宗氏の間に1609年己酉約条を結ばせ交易を再開、また朝鮮通信使と日本国王使の往来によりおおむね対等な関係を構築した。他方清との間ではその冊封を受けず限られた貿易のみを容認し、禁教令の徹底などを目的に1630年代の鎖国令によってオランダとの交易を除き西欧諸国との関係も途絶させた。

2009年04月29日

寺社勢力

寺社勢力(じしゃせいりょく)とは日本中世において、武家政権・朝廷とともに権力を三分した、大寺院・神社(当時は神仏習合のために一体)による軍事・行政・経済・文化パワーである。武家政権や朝廷のように権力中枢があったわけではなく、各寺社が独立して行動し、また一寺社内でもさまざまな集団がせめぎ合っていたため、「勢力」と呼ぶ。

平安時代末期から、延暦寺、興福寺などの大寺社は僧兵を抱えて独自の武力を備え、また神輿を担いで強訴を行い、自身の要求を主張するようになった。

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また、衆徒・神人とよばれる俗人を多数配下において大人口を誇り、経済・学問・工芸活動などが盛んだった寺社周辺は、近年の日本歴史学で「境内都市」と呼ばれる一大メガロポリスであった。

延暦寺は、配下においていた祇園社が京の鴨川の東側に大きな境内(領地)を持っていたこと、興福寺は大和国一国の荘園のほとんどを領して中世を通してその経済力で京に大きな支配力を及ぼした。強大な寺社勢力である延暦寺と興福寺を合わせて「南都北嶺」(なんとほくれい)と称された。

また、大寺社内は「無縁所」とよばれる地域であり、生活に困窮した庶民が多く移民し、寺社領地内に吸収された。また、幕府が罪人を捜査する「検断権」も大寺社内には及ばず、そのため源義経や後醍醐天皇など、戦乱に追われた人々の多くが寺社にかくまわれた。

戦国時代末期において、織田信長、豊臣秀吉などは寺社勢力と激しく敵対し、苛烈な戦いを繰り広げた。だがその一方で、安土城の築城に延暦寺の職人を利用したり、根来寺の鉄砲を戦争に利用するなど、寺社勢力の高い技術力を活用もした。

秀吉の刀狩令は、百姓等のみならず寺社勢力の武器没収も意味しており、この結果として約五百年間続いた寺社勢力は日本の権力構造から消えることとなった。

2009年04月14日

宦官(かんがん)

宦官(かんがん)とは、去勢を施された官吏である。「宦」は「宀」と「臣」とに従う会意文字で、その原義は「神に仕える奴隷」であったが、時代が下るに連れて王の宮廟に仕える者の意味となり、禁中では去勢された者を用いたため、彼らを「宦官」と呼ぶようになった。

去勢技術は家畜に施すものとして生まれたため、宦官は牧畜文化を持つ国にのみ存在するという説があるが、現実には牧畜文化を持たない国においても宦官は存在した。

東アジアの宦官 [編集]
古代中国に始まり、朝鮮やベトナム等、おもに中国の勢力圏の東アジアに広まった。

日本 [編集]
日本では、刑罰や宗教的動機で男性を去勢した例はあるものの、行政機構としての宦官制度は広まらなかったといわれる。

しかし、江戸時代の古川柳に「奥家老らせつしたのを鼻にかけ」というものがある。また「案山子かな女中預かるらせつ人」という古川柳も残っている。「らせつ」とは漢字で「羅切」と書き、「陰茎切断」の俗語であることから、女官たちを取り仕切る宦官に近い存在はあったようである。

中国
刑罰として去勢(宮刑・腐刑)されたり、異民族の捕虜や献上奴隷が去勢された後、皇帝や後宮に仕えるようになったのが宦官の始まりである。しかし、後に皇帝やその寵妃等に重用され、権勢を誇る者も出て来るようになると、自主的に去勢して宦官を志願する事例も出てくるようになった。このように自ら宦官となる行為を自宮、あるいは浄身と呼ぶ。

宦官になればある程度の出世は約束されたと言って良いものの、去勢した後の傷口から細菌が入って三割が死ぬことから非常に命がけであったと言われている。

中国諸王朝において官僚は特権階級であったが、貴族(没落貴族も含む)ではない庶民階級の者が文武問わず正規の官僚として高位へ登る道は、隋以降に導入された極端に競争の激しい科挙(進士採用試験)を除くと事実上ないに等しく、自宮者は後を絶たなかったという。自宮宦官の例として、土木の変を引き起こした王振、皇帝を凌ぐほどの権勢を誇った魏忠賢等が知られている。

五代十国のひとつ南漢国は、特に宦官を重用したことで知られ、科挙の成績優秀者は、まず性器切断してから登用したほどであった。最後の皇帝劉鋹(在位958年 - 971年)の時代には、総人口100万人に対し宦官が2万人もおり、この国の男性25人に1人は完全去勢していたことになる。

統一王朝の場合でも、宦官は普通は多くても数千人ほどで、おもに後宮に配置された。しかし、明代には爆発的に増え、約10万人に膨れ上がった。 「皇明実録」によると、1612年(明の天啓元年)に政府が、宦官の補欠3000人を募集したところ、応募者が2万人に達したため、急遽募集人数を4500人に増やしたという記録が残されている。

また宦官の影響で国政が乱れた例も多く、その弊害が最も顕著であったのは後漢・唐(中期から後期)・明と言われる。また、趙高は秦を滅亡させるきっかけを作った。宦官によって国政が乱れることは指摘されてきたが、歴代中国王朝はこれを廃止することはできなかった。宦官は権力を世襲できず、そのため常に皇帝と密着した存在であり、皇帝と離れては存在できなかったことから、皇帝が権力を託すための存在として必要不可欠であった(宦官ではない者に権力を託すと、当然の事ながら個人に留まらずその一族の権力となり、帝位を算奪される危険が伴う)。後漢では豪族の力が甚だ強く、それに対抗するために皇帝が手足として使った存在が宦官であった。唐においても藩鎮勢力に対抗するためと考えられる。明代においては皇帝権が極めて強く、それに比して無能・怠惰な皇帝が存在した場合に宦官が表に出るようになったと考えられる。

後漢末の豪族袁紹は霊帝の死後宮中の宦官らを殺害した。宦官は去勢されている男子なので男性ホルモンが分泌されず女性的なふっくらとした体系で、髭が生えていなかった。そのため髭を生やしていなかった者も殺害され、宦官も合わせて2000人に達した。

切り取られた性器は大切に保管され、本人の死亡後一緒に棺に納められた。そのため性器を失くした場合、他の宦官の物を盗むに至った事例もあったようである。また、自宮の際には手術代の代わりに性器を質に入れるものもいた。死後、性器と一緒に埋葬されなければ驢馬に生まれ変わるといわれた。

時期や方法にもよるが去勢されても性欲は残る。そのため宦官と女官との不義がたびたび起こっており、多量の張型が押収されるということがたびたびあった。宦官の性行為では多量の汗をかき、相手や物に噛み付くなどして性欲を発散させるという記録が残っている。

中国では、1911年の辛亥革命により清王朝は滅亡したが、最後の皇帝である宣統帝溥儀は1912年の退位後も清室優待条件により紫禁城に居住し続け、太監(宦官)も同条件により新規採用者の募集を停止したのみであった。その後、1924年の馮玉祥のクーデターで宣統帝とともに宦官も紫禁城から追放され、その歴史の幕を閉じることとなった。このとき追放されたのは、宦官2000人と女官200人と伝えられ、紫禁城内の生活において宦官がなくてはならない存在だったことが分かる。

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2009年03月30日

デビューから引退まで

AV女優は、街頭でスカウトされる場合とAV事務所が行うAV女優の募集に自ら応募する場合が半々と言われる。出演報酬が高いため、安易に応募する女性も少なくないが、単体女優の場合なら選考基準が非常に厳しい。(事務所サイトの記述を参考にすると)企画女優が95%を占めており、単体女優は5%ほどに留まるらしい。
芸能界から芸能事務所のアイドルや若手芸能タレントとして失敗した女性が流れ着き、AV女優となる場合もある。この中の一部には芸能事務所が先の売り出しに失敗し、本人の意思とは無関係にAV事務所に売り飛ばされたという噂のある女優もいる。もっとも、この種の噂はAV黎明期から今まで幾度となく繰り返されて来たもので、現実的にこの種の噂が、真相がどうかはまた別である。視聴者が最も求める展開である事も付け加えざるを得ないだろう。
いずれにせよ、芸能界からAV業界への転向が以前より頻繁になった事は間違いない。この場合、件の女優の出演作品には「芸能人デビュー」などと銘打たれる。一方、AV業界から芸能界への転向は甚だ困難である(後述)。
逆に、芸能デビューへの足掛りという目的で、名前を人口に膾炙させるためにAVデビューを試みる女性もいる。
基本的に、「芸能界」が一種のハク付けになっている。目指している・経験している、などとデビューの際に絡めることが多い。前職があると、視聴者を喜ばせることができるという点では、ポピュラーなものである。
AV女優としての寿命は、超人気女優であれば10年近くになる大物もいるが、ほとんどがせいぜい2?3年、それ以上となると若手に押されて飽きられるか、「家族や友人にばれた」などの理由、所属事務所との契約終了により引退するケースがほとんどと見られる。しかし、中には30代以降デビューして人気を集める女優も例外的に存在する(いわゆる熟女系…川奈まり子、友田真希、望月加奈、酒井ちなみ、紫彩乃など)。
バイオ ハノイ サイト宇宙 セット リーテール たましぎ みたか ニューロ れっど ファンタ アカシデ ひびき ちゅう フォルテ ターミ アイテム セルラ ハイブリ バロッ ファザ 紫キャベツ ライフ ナビキュー 仲よし ネリネ ピープ モデル 龍馬太鼓 きんさ ダウン スリル シームレス スピーチ ドクゼ オフィス ナビデモ スルー シアトル マツム ルーム リアクター デイキ ロースラ モトロ オブジ サンタ マキシ リボソーム デパチ クンミン

デビューから1年程度経つと、様々な変態的プレイを主眼に据えたものなど、デビュー当初よりも過激な内容の作品への出演依頼が増えて来る。この種の作品への出演の決意が決まらず、何度も出演を躊躇しているうちに出演依頼が来なくなり、事実上の引退となる者も少なくない。
2?3年と長続きした人気女優の作品数は、主演作品で50本程度、共演や脇役出演を含めると100本近くになる成功例もあるが、ほとんどの場合は毎月1本、多くて月2本ペースで撮影される。
引退後はグラビアモデル、ストリッパー、ソープランドなどの性風俗産業へと転じてゆく者もいるが、実際は普通の生活に戻ってしまう事がほとんどである。AVを含め、性風俗産業で長く勤める事は難しいのが現状である。
AV女優から芸能人へと転身し、芸能人として成功したのは飯島愛ぐらいしか例がない。高樹マリア、及川奈央、蒼井そら、夏目ナナ、長澤つぐみなどのタレント転身がアナウンスされているが、飯島愛に次ぐだけの存在と言える者はまだ現れていない。
収入面だけで割り切っているタイプなら、AVで得た知名度を活かす手段として、AVで売れた後にソープランドなどに転職するケースも多い。この場合、成功すれば膨大な指名が殺到し、風俗の生え抜きトップすらも凌ぐケタ違いの収入を得る事もある。その事もあってAV出演が一つのステータスと考えられている。

2009年03月14日

ポルト・ド・モスで産出された石灰岩

修道院内の位置関係 [編集]
バス ブラックタ アセアン 水辺の旅 ルコギ プルメリア リッチシ チョック タンク スクーター ナベル ジャポニ ドラル 朝ごはん はばね 忍耐最適 ファイリン バキュー ソネット ローマ わこう オート パナ フェレット ハイム 虹のパノ スケジュ ユーカリ オパール オリジ キャラバン ハット テロロ ケーオー オフセ ちぎれ雲 レース なかせん 相合傘人 テーブル リスク ビップ イースト ミルク オーライ トラン スネーク ネグレクト オート キネシ

騎馬像のある南側の広場から見たバターリャ修道院の外観。修道院の入口は、この画像では、左側になる。バターリャ修道院の外装は、ポルト・ド・モスで産出された石灰岩によって構成されており、時が経過するにつれて、黄土色へと変色していった。バターリャ修道院の外装は、レイヨナン式とフランボワイヤン式といったゴシック建築の様式に加え、ルネサンス建築が融合した稀有な例であり、また、イングランドの垂直様式の要素を強く持つ。他の全てのドミニコ修道会の教会のように、バターリャ修道院は鐘楼を持たない。

騎馬像のある広場に面した西側のファサードは、控え壁と巨大な片蓋柱によって3つに仕切られている。西側のファサードの壁を隔てて、創設者の礼拝堂があり、このファサードの右手には、未完の礼拝堂がある。

修道院の入口は、この西側のファサードが南に面していることから、騎馬像を左に見ながら右側に曲がったところ、西側の広場に面している。この入口から修道院内部に入り、左手に王の回廊があり、王の回廊の東側には、参事会室、王の回廊の北側には、アフォンソ5世の回廊がある。

西側の広場に面している修道院の入口は、アーチ・ヴォールトの形をとっており、そのヴォールトの中には、78の聖像が飾られている。78体の聖像は6列に分けて並んでおり、それぞれに旧約聖書に登場してくる王、天使、預言者、聖者が天蓋の下に並んでいる。また、ヴォールトから地面へとつながる部分の両脇には、使徒と鎖で縛られた悪魔の彫像がある。加えて、修道院の入口のアーチ・ヴォールトの上部の三角形のような形をしたスペースには、キリストの戴冠の様子が彫刻で施されている。

身廊 [編集]
修道院の身廊の高さは32mあり、均整を保つために幅は、22mと狭い。現在ある高さにまで設計、建築したのは、2人目の建築家であるフュゲットである。身廊には、彫像や装飾物が少ないため、落ち着いた印象を与える。天井は、複数の支柱と装飾されたキーストーンで構成されたリブ・ヴォールトである。光は、10枚あるステンドグラスから射し込まれてくる。

バターリャ修道院は、ポルトガルにおいて、最初にステンドグラスを備えた教会建築である。フランケン地方やニュルンベルク地方のドイツ人の芸術家がバターリャに持ち込んだとされ、最古のステンドグラスは、1430年代末のものである。

マテウス・フェルナンデスと彼の妻は入口の近くの大理石の下に埋葬されている。また、創設者の間礼拝室の近くには、アルジュバロータの戦いで、ジョアン1世の命を救った騎士Martim Gonçalves de Maçadaの墓も近くにある。

創設者の礼拝堂
創設者の礼拝堂(ポルトガル語表記でCapela do Fundador)は、1426年から1434年にかけて、ジョアン1世の指示のもと、フュゲットが建設したポルトガルで最初のパンテオンである。フランボワイヤン式とイングランドの垂直様式の調和を見ることができる。礼拝堂は、3つの格間と中央の8本の支柱によって控え壁が設けられた八角形の空間に分けられる。8本の支柱にはアーチ(ヴォールト)がかけられており、クロケットと呼ばれるゴシック建築に特有の装飾が施されている。中央には、ジョアン1世と王妃のフィリパ・デ・ランカスターの棺が置かれている。当時のポルトガルとイングランドの良好な関係を象徴している紋章が見て取ることができる。墓には、ジョアン1世のモットーであるPor bem(For the better)と王妃フィリパのモットーであるYl me plet(I'm pleased)が繰り返し彫られている。

ジョアン1世と王妃フィリパの墓の南側には、ペドロ王子、エンリケ航海王子、フェスで客死したフェルナンド王子の墓がある。また、歴代のアヴィシュ家の国王であるアフォンソ5世、ジョアン2世(ただし、墓の中身は、半島戦争の際に遺骨を捨てたため、空っぽである)、17歳の若さで夭逝したジョアン2世の息子であるアフォンソ王子の墓もある。 

未完の礼拝堂
未完の礼拝堂(ポルトガル語表記でCapelas Imperfeitas)は、バターリャ修道院が完成形を見ることがなかったことを示す証でもある。未完の礼拝堂自体は、ドゥアルテ1世によって、1437年に着工した。目的は、ドゥアルテ1世と彼の子孫が埋葬されるための王室の第2の霊廟であったが、実際には、ドゥアルテ1世とその妻であるレオノール・デ・レオンの2人のみが埋葬されている。

未完の礼拝堂は、もともとフュゲットが設計したものであるが、後にマテウス・フェルナンデス設計のものが現存の礼拝堂の主な姿となっている。礼拝堂のそれぞれの角には、ヴォールトを支えるために作られた未完の控え壁がある。また、マヌエル様式の彫刻が施される形で、ボイタックが設計した支柱が立つ。

礼拝堂の入口は、15mの高さになっている。もともとはゴシック建築の手法が用いられていたが、マテウス・フェルナンデスの手によって、マヌエル様式の傑作へと変わり、1509年に完成した。華美で、またスタイリッシュであるマヌエル様式の彫刻は、天球、翼を生やした天使、ロープ、円、木の切り株、クローバーの形をしたアーチといった形で表現されている。また、バターリャ修道院建築において庇護者の立場を採ったマヌエル1世やドゥアルテ1世のモットーでもある"Leauté faray tam yaserei"(朕は常に忠実なり)という言葉が200以上、礼拝堂の中のヴォールトやアーチ、柱に施されている。

1533年ごろには、ジョアン・ド・カスティーリョの手によって、ルネサンス建築の手法である涼み廊下(en:Loggia)が施された。

参事会室 [編集]
参事会室(ポルトガル語でSala do Capitulo)は、王の回廊の東側(すなわち、奥)にある。

参事会室を訪れることで、この修道院の建築の出発点に戦争があったことを人々に思い起こさせる。第一次世界大戦で亡くなった2人の無名の戦士の墓を守る形でガードマンが立っている。

この部屋の特筆すべき点は、柱が1本もない形でヴォールトが完結している点である。フュゲットの手によって設計されたという伝聞が残る。

1508年、部屋の東の壁面にステンドグラスが施された。このステンドグラスはキリストの苦難の場面を表している。

王の回廊
王の回廊(ポルトガル語でClaustro Real)は、もともとは、バターリャ修道院の建設計画になかったものである。フェルニヤーオ・ド・エヴォラが1448年から1477年にかけて建設した。王の回廊に残されている彫刻は、マヌエル様式とゴシック様式を上手に融合させており、第2の建築家であるフュゲットが最初に施し、後にマテウス・フェルナンデスが追加している。

洗盤 [編集]
洗盤は、王の回廊の北西の角に置いてある。バターリャ修道院に設置してある洗盤は、マテウス・フェルナンデスの作品である。水が出る装置と2つの小さな洗面器からなり、洗盤の周りの複雑な狭間飾りを通して、全体が金色の光に包まれている。

アフォンソ5世の回廊 [編集]
王の回廊に隣接するアフォンソ5世の回廊(ポルトガル語表記でClaustro de D. Afonso V)は、2つの尖ったアーチを持つゴシック様式の回廊である。15世紀の半ばに、フェルニヤーオ・ド・エヴォラが建設した。フラボイヤン式でアフォンソ5世の回廊よりもやや大きい王の回廊とのコントラストを見ることができる。回廊のヴォールトには、ドゥアルテ1世とアフォンソ5世の紋章が刻まれている。

2009年02月26日

ユーモラスで破天荒な印象の作戦

独自の作戦の例である。ユーモラスで破天荒な印象の作戦が多く、ファンの評価は分かれるがZATの特色を出している。

電気ショック作戦
アストロモンスにスカイホエールから送電線を打ち込んで放電する。だが、無効だった。
放電作戦
川の中に電気を流し、生物を追い出す作戦。多摩川に潜むコスモリキッドを追い出すことに成功した。西田隊員の得意の作戦。
高圧パイプ作戦
ライブキングに飲み込まれた光太郎と健一の愛犬ポチを救うためにライブキングの腹にコンドルから高圧パイプを打ち込んで穴を開ける作戦。穴を開けることには成功したが、肝心の光太郎やポチが出てこないうちにパイプを引き抜かれ、同じく腹に飲み込まれていたコスモリキッドが出てきてしまって失敗に終わった。
コショウ作戦
朝日奈隊長の発案の作戦。ライブキングに飲み込まれた光太郎とポチを救うためにスカイホエールから1トンのコショウをばら撒き、ライブキングにくしゃみをさせて光太郎とポチを吐き出させる作戦。作戦は見事に成功し、ライブキングはくしゃみと共に光太郎とポチを吐き出した。
パンチ弾作戦
初の2対1の闘いで劣勢なタロウを救うべく、瞬時に敵を倒すために考案された作戦。タロウがこれを察し、ウルトラフリーザーでコスモリキッドとライブキングを凍結させた後、コスモリキッドを鉄球で砕いて倒した。
バスケット作戦
卵を取り戻したものの自分の手で持てないキングトータスとクイントータスの代わりに卵を運ぶ作戦。四つの卵を巨大な籠の中に入れた。当初は籠を口に銜えさせようとしたが、うまくいかなかったため、スカイホエールで籠をオロン島まで輸送した。
中和作戦
ジレンマの吐き出す強力な酸に対し、スーパーアルカリ液を使用。タロウにかけられた酸を中和し、その抵抗力をもたらした。
蟻殲滅作戦
ビルに潜むアリ達をスカイホエールが蟻酸で誘き出し、コンドルが高圧電流(となっているが劇中では火炎放射にしかみえない)で焼き払う。しかし、作戦は失敗し、アリ達は合体してアリンドウが生まれてしまった。
ミラー作戦
鏡に映った自分に反応するデッパラスに対し、各戦闘機が巨大な鏡をぶら下げて怪獣を埋立地に誘導。そこにある落とし穴に落としたところをミサイルの集中攻撃で倒した。しかし、一晩で再生し、再生後は作戦が通じなくなった。
虫歯治療作戦
水中ロケットが口に挟まってしまったシェルターのためにスカイホエールがクレーンで水中ロケットを引き抜こうとしたが、間違ってシェルターの歯を抜いてしまい凶暴化。シェルターは最後にその水中ロケットで不幸にも爆死してしまった。
地雷作戦
頑丈な鎧で防具されているエンマーゴを、地雷で攻撃した。
スプレー作戦
姿が見えないミエゴンにスプレーガスを噴射し、色をつけて姿を明確にした。
手錠作戦
苦戦するタロウを援護するためにオカリヤンの首と左手にスカイホエールとコンドルが強大な手錠をかけ、動きを封じた。
トリモチ作戦
風船ガムが顔にくっつく事をヒントに荒垣副隊長が考え出した作戦。バードンに大量のトリモチをかぶせて動きを封じようとしたが、行水をした直後で体が濡れていたため、しっかりくっつかず中途半端に終わった。
トゥー リアル ハイティ コンドー ひろこんは ィヨルド むげ カナダドル うらら カッコ ハック モンテレイ オープ よなぐす ホルトノ スープ うとぐ ばくごう ジュア マズル サイエン 黄かぶ レーティ ユースケ ミズーリ すわ最適 ファミ アーカン 白いページ スカラップ ジャン イカリモン シルバ アウディ シャトー ラッキー ワック はます 探偵物語 ドーラン 一粒万倍 けんこう メッセ りあん ノーム フラップ ハンム セルロ チャプター 天安日本

ひっぺ返し作戦
東京ニュータウンの地下に眠る怪獣を地上に引きずり出すため、地表面を覆うコンクリートを剥がす作戦。スカイホエールから地上へ巨大アンカーを打ち込み、引き剥がすことに成功する。地下にいたのはキングゼミラだった。
ネット作戦
寿命が一週間のセミを保護するためキングゼミラに虫かご代わりにネットを放ち、命を保護した。しかし、ニュータウンの住民が泣き声に我慢できずネットを燃やしてしまった。
ZATハリネズミ作戦
無数の時限ミサイルをロードラの体に次々打ち込み、ハリネズミのようにしてからいっせいに爆発させる。しかしロードラには全く効かなかった。
王水作戦
ミサイルなどが効かず、車を溶かし続けるロードラを、王水で逆に溶かしてしまうという作戦。結局は放射器を溶かされて失敗した。
AZ1974作戦
水爆の3倍の威力を誇るAZ1974爆弾。だが、発射装置が完成してないため発案者の上野隊員自らスカイホエールから怪獣に飛び移って時限爆弾ごと直接体にセットを行った。これでムルロアを見事倒すことに成功する。名前のモチーフはウルトラマンタロウ放映の年“1974年”にちなんで。
首吊り作戦
スカイホエールとコンドルの間にチェーンを張って弱ってきたムカデンダーの首に巻きつけて締め付けたが、首と胴体を分離してこれを逃れた。
アミアミ作戦
メフィラス星人(二代目)を生け捕りにするため、網を放った。原始的ながら逆に斬新な作戦だったが、破壊光線で破られて失敗した。
真っ二つ作戦
過去に現れたベムスターを分析してウルトラブレスレットと同じ威力を持つ回転ノコギリを開発し、スカイホエールに装備して改造ベムスターに対抗する作戦。回転ノコギリはビルを真っ二つにする威力を発揮したが、ベムスターはヤプールに強化されており、ノコギリの方が壊れてしまって失敗した。
エネルギー爆弾作戦
改造ベムスターの腹の"口"がエネルギー吸収口であることを利用し、2種の爆弾を腹に打ち込み、内部で化学反応させ、その爆発で倒した。
薬品作戦
兵器が効かないお化けキノコ(マシュラの素)を特殊薬品で攻撃したが、キノコの毒素と混ざった強力な毒液として逆用され、失敗。
ベル作戦
失明したタロウにカタン星人の位置を知らせるため、星人の首にベルをつけた。これでタロウに星人の位置を看破させ撃破に貢献した。
白酒作戦
お酒が大好きなベロンを酔い潰すために、スカイホエール内で合成した白酒を飲ませて激しい踊りをさせる。

装備
ZATの装備品(航空機、車両、制服、武器等々)には、曲線、曲面を多用したラインと、先端部に設けられた球状の突起といったデザイン上の一貫した特徴がある。

銃器類・特殊装備
ZATガン
ZAT隊員が携帯する拳銃。小型ながら強力な威力を誇り、スカイホエール等の航空機が撃墜された後の地上戦など全編を通して活躍した。カートリッジによって実弾やレーザー、ガスなどの切り替えが可能だが、第6話ではレーザーでジレンマを巨大化させてしまっている。
通信機付腕時計(正式名称不明)
隊員たちが常に装備している腕時計で、非番の隊員もこれを使って定時連絡を行っている。しかし、第40話で光太郎がこれを付け忘れて出掛けてしまい、タイラントが迫る中で大変なことになったこともある。
携行用無反動銃
先端のミサイルを発射する単発式の銃で、発射時の衝撃が体にかからない。
大型機関砲
1秒に100発の弾丸を発射する大口径マシンガン。
スーパーナパーム
肩に背負った点火剤入りのタンクと共に使う火炎放射器で、かなり長い間放射出来る。
X線レーダー
第2話で登場した電子装備。地上に設置した小型パラボラアンテナからX線を放射し目標内部を透視する。ライブキングに飲み込まれた光太郎を確認した。
散布機
第9話で登場したもので殺虫ガスだけでなく火炎放射、熱湯の噴射も可能。ビルに巣食っていた大蟻を駆除するために使用されたがノズルを溶かされてしまう。
ZATヘルメット
耐熱、耐圧性に優れており、通信機が内蔵されている。

航空機
スカイホエール
主力大型戦闘機で、前線では指揮・管制を司る移動司令室にもなる。また、輸送、偵察といった任務にも使用される多用途機である。上記の作戦に使われる装置は大抵この機で輸送され、2段の水平尾翼が外見上の大きな特徴となっている。大気圏離脱と宇宙空間での航行、さらに垂直離着陸も可能で、機内の化学分析室で薬品調合や白酒の合成も行う。武装は改造ベロクロン二世を倒した機首のレーザー砲、両主翼付け根にぶら下げている箱形のミサイル/ナパーム弾ランチャー、この他にも機体下面より各種オプション兵装、装置などが装備可能という特長からいろいろな作戦や作戦後の攻撃などの要とも成っている。全長60m、全幅54m、全高20m、最高速度M3.3、乗員6名。
コンドル1号
主力高速戦闘機。スカイホエールとペアでの出撃が多く、折り畳み可能の輪っかのような主翼が特徴的。偵察用カメラと高性能レーダーを搭載し、高度2万mまで飛行可能なため偵察任務にもよく使われた。自爆機能もあり、武装は機首のレーザーと主翼の真ん中に付いているZATミサイル。この他にも作戦のために胴体下部にもオプション装備が可能。全長20m、全幅23m、全高9m、最高速度M8.8、乗員2名。
スーパースワロー
小回りのきく高性能小型戦闘機。長時間強力噴射できるロケットモーターで大気圏離脱や宇宙空間の航行、宙返りや背面飛行などアクロバティックな飛行も可能。そのため操縦が難しいらしく本編での出番はさほど多くなかった。翼はやじろべえのような形状をしており、よく横揺れする。武装は機体下部についているミサイル。全長19m、全幅17m、全高8m、最高速度M9.1(M1.1と記載する資料もある)、乗員1名。
ドラゴン
第24、27話に登場した小型高速ヘリコプター。コクピットからの視界が広いため、主に捜索や偵察に使用された。機体上部の3枚のローターで上昇し、ジェット噴射による高速移動ができる。フロートが付いており着水も可能。全長12m、乗員2名。
アンドロメダ
船体の周囲に3基のロケットエンジンを配置し、光子力エネルギーで飛ぶ宇宙航行用大型ロケット。武装はハイパーミサイル、プラズマミサイル、宇宙魚雷など多彩で、恒星間航行も可能。オープニング映像にのみ登場。全長167m、全幅32m。
マゼラン
アンドロメダに搭載されている小型宇宙戦闘円盤。地球では珍しい円盤型の宇宙艇で、惑星調査のための着陸船としての役割を持ち、宇宙戦闘機としても使える。玩具は発売されたが、オープニング映像にも未登場でスチル写真のみとなっている。全長6.7m、定員2名。

車両・潜航艇
ウルフ777(スリーセブン)
地上攻撃用車両。トヨタ・クラウン2ドアハードトップ「HT-SL」(MS51、前期型)がベース。単体での地上攻撃も可能な本車は、強力なエンジンにより最高時速300km以上での走行も可能。またテンペラー星人との戦いでは光太郎が見事なフットワークを披露してくれている。耐熱性を誇るボディはバードンの火炎に耐えたが、メモールの火炎には焼かれてしまった。武装はウルフミサイル、ベータ光線砲、機関砲。ラビットパンダと同じく放電装置を持っている。また高性能レーダーも搭載されていてパトロールにも用いられていた。全長6.1m、全幅1.8m、全高1.86m、最高時速300km以上、乗員5名。後にプロレスの星アステカイザーに黒色塗装を施されて流用される。
ラビットパンダ
小型特捜車。バモスホンダがベース。フロントノーズに高性能レーダーを装備するなど主にパトロールに使われた。その奇抜でかわいいデザインらしからぬ強固な装甲を誇り、対怪獣用レーザー砲、バズーカ砲も搭載されているなど戦闘車両としても威力を発揮した。強力な放電装置を持っている。全長3.8m、全幅1.51m、全高2.75m、乗員2名。
ZAT専用車
宇宙人の追跡や偵察に使われる。第26話より緑色の三菱・コルトギャラン4ドアセダンが登場。しかしこの車両はのちに第34話でテンペラー星人に壊されたため、その後最終話まで赤い三菱・ランサーが使われた。
ペルミダーII世
地底戦闘車両。第8話に登場。先端に装備された2基のドリルはダイヤの1万倍の硬さを誇る。ドリルは逆回転も可能。スカイホエールに搭載され現場に輸送される。本編での武装は6連装式地底ミサイルだったが、オープニング映像では2基の大型ドリルミサイルが装備されており、状況により換装できるようである。全長23m、全幅5.6m、全高8m、地上速度時速90km、地中速度時速60km、乗員4名。
バギー
第12、13話で登場したもの。移動用らしく戦闘には参加していない。
アイアンフィッシュ
高性能研究用原子力潜航艇。ZAT唯一の水中戦力で深海魚のような姿をしている。武装は左右両舷に搭載されたスーパープラズマミサイルと、上部の超高圧放電装置。本部基地の地下格納庫に格納されている。オープニング映像にのみ登場。玩具も発売されているが結局本編には登場しなかった。全長46m、全幅17m、全高31m、水上時速40ノット、水中時速35ノット、水深2万mまで潜航可能、定員10名。

宇宙ステーション
ZATステーションNo.S1009
第13話に登場。第7話より異動になった西田隊員の転任先。九州で演習を行うZATを宇宙からサポートした。
ZAT第1ステーション
第29話に登場。月の軌道上を回るZATの宇宙ステーションの一つで、ZAT本部の隊員たちとも親交があった佐野隊長が勤務していたが、改造ベムスターに奇襲され、ZAT本部からの救助も間に合わず丸呑みされてしまった。


2009年02月09日

磐井の乱(いわいのらん)

磐井の乱(いわいのらん)とは、527年(継体21)に朝鮮半島南部へ出兵しようとした近江毛野(おうみのけな)率いるヤマト政権軍の進軍を筑紫君磐井(つくしのきみいわい)がはばみ、翌528年(継体22)11月、物部麁鹿火(もののべのあらかい)によって鎮圧された反乱または王権間の戦争。この反乱・戦争の背景には、朝鮮半島南部の利権を巡る主導権争いがあったと見られている。

磐井の乱に関する文献史料は、ほぼ『日本書紀』に限られているが、『筑後国風土記』逸文(「釈日本紀」巻13所引)や『古事記』(継体天皇段)、『国造本紀』(「先代旧事本紀」巻10)にも簡潔な記録が残っている。
ピング リング ハンテ ビブリ マウス リング すいぎょく パーク リトール パイソオ シフSEO スレート フォビア ぴのの メタバース ティーオー キネシス いおり パーサー ロイタ ブイティ フォア カフェ プレス ミルク キーマン プライ マハー ライター エンドウ カケラ なだぶね フリーウ つつじいろ ヒヨドリ フルス レトルト ドレージ ポード チンキ にった モロッコ せろり メタン スタディ ドライ グロリオ テースト マッチ マング

なお、『筑後国風土記』には「官軍が急に攻めてきた」となっており、また『古事記』には「磐井が天皇の命に従わず無礼が多かったので殺した」とだけしか書かれていないなど、反乱を思わせる記述がないため、『日本書紀』の記述はかなり潤色されているとしてその全てを史実と見るのを疑問視する研究者もいる。

真偽は定かでないが『日本書紀』に基づいて、磐井の乱の経緯をたどるとおよそ次のとおりである。

527年(継体21)6月3日、ヤマト政権の近江毛野は6万人の兵を率いて、新羅に奪われた南加羅・喙己呑を回復するため、任那へ向かって出発した(いずれも朝鮮半島南部の諸国)。この計画を知った新羅は、筑紫(九州地方北部)の有力者であった磐井(日本書紀では筑紫国造磐井)へ贈賄し、ヤマト政権軍の妨害を要請した。

磐井は挙兵し、火の国(肥前国・肥後国)と豊の国(豊前国・豊後国)を制圧するとともに、倭国と朝鮮半島とを結ぶ海路を封鎖して朝鮮半島諸国からの朝貢船を誘い込み、近江毛野軍の進軍をはばんで交戦した。このとき磐井は近江毛野に「お前とは同じ釜の飯を食った仲だ。お前などの指示には従わない。」と言ったとされている。ヤマト政権では平定軍の派遣について協議し、継体天皇が大伴金村・物部麁鹿火・許勢男人らに将軍の人選を諮問したところ、物部麁鹿火が推挙され、同年8月1日、麁鹿火が将軍に任命された。

528年11月11日、磐井軍と麁鹿火率いるヤマト政権軍が、筑紫三井郡(現福岡県小郡市・三井郡付近)にて交戦し、激しい戦闘の結果、磐井軍は敗北した。日本書紀によると、このとき磐井は物部麁鹿火に斬られたとされているが、『筑後国風土記』逸文には、磐井が豊前の上膳県へ逃亡し、その山中で死んだ(ただしヤマト軍はその跡を見失った)と記されている。同年12月、磐井の子、筑紫君葛子(つくしのきみくずこ)は連座から逃れるため、糟屋(現福岡県糟屋郡付近)の屯倉をヤマト政権へ献上し、死罪を免ぜられた。

乱後の529年3月、ヤマト政権(倭国)は再び近江毛野を任那の安羅へ派遣し、新羅との領土交渉を行わせている。

以上のほか、『筑後国風土記』逸文には交戦の様子とともに磐井の墓に関する記事が残されている。また、『古事記』は、筑紫君石井(いわい)が天皇の命に従わないので、天皇は物部荒甲(あらかい)と大伴金村を派遣して石井を殺害させた、と簡潔に記している。『国造本紀』には磐井と新羅の関係を示唆する記述がある。

意義
磐井の乱が古代の重要事件として注目されるようになったのは、1950年代前半のことである。当時、林屋辰三郎・藤間生大・門脇禎二らは、磐井の乱について、ヤマト政権による朝鮮出兵が再三に渡ったため九州地方に負担が重なり、その不満が具現化したものと位置づけた。

これに対し、『日本書紀』に記す磐井の乱は潤色されたものであり、実際は『古事記』に記す程度の小事件だったとする主張が、1960年代に入ってから坂本太郎・三品彰英らから出された。ただし、それらの主張は磐井の乱が持つ意義を否定するものではなかったため、乱の意義に着目した研究が続けられ、磐井の乱を古代史の重要事件と位置づける考えが、多くの研究・検証の結果、通説となった。

1970年代半ばになると、継体期前後に国家形成が進展し、ヤマト政権が各地域の政治勢力を併合していく過程の中で、磐井の乱が発生したとする研究が鬼頭清明・山尾幸久・吉田晶らによって相次いで発表された。従前、磐井の乱は地方豪族による中央政権への反乱だと考えられていたが、これらの研究は、古代国家の形成という点に着目し、乱当時はすでに統一的な中央政権が存在していた訳ではなく、磐井が独自の地域国家を確立しようとしたところ、国土統一を企図するヤマト政権との衝突、すなわち磐井の乱が起こったとした。

1978年に埼玉県の稲荷山古墳から出土した金錯銘鉄剣の発見により、統一的な中央政権の形成時期を5世紀後半までさかのぼらせる議論が有力となっていくと、磐井の乱の意義・位置づけもまた再検討が加えられるようになった。朝鮮半島との関係に着目し、ヤマト政権・百済の間で成立した連合に対し、磐井が新羅との連合を通じて自立を図ったものとする意見、磐井の乱を継体王朝の動揺の表れとする意見、むしろ継体王朝による地方支配の強化とする意見など、磐井の乱に対する評価は必ずしも一致していない。

一方、考古学の立場からは、戦後、北部九州に見られる石製表飾(石人石馬)や装飾古墳などの分布・消長の状況が次第に判明するに従って、それらの九州広域文化圏を磐井の乱と関連づける議論がなされるようになっている。

異説・俗説
当時、北九州にはすでにヤマト政権とは別個の政権(倭国政権:九州王朝)があった。中国で言う倭王とは実は磐井王のことで、倭国政権すなわち九州王朝では独自の元号(九州年号)や外交主権等を持ち、むしろ倭国政権に対して反乱を起こしたのは外交権を独占しようとする継体(畿内ヤマト又は九州内の豪族)側だったとする説(九州王朝説)がある。 この説は、当時の日本においてヤマト政権が九州を含む統一王朝であったことを疑問視し、むしろヤマト政権よりも磐井政権の方が日本における有力政権だったと見なすものである。

2009年01月24日

冠詞(かんし)

ちぇりもや 変わら ラビリティ サーミ サフィニア マンダ ロイワ モナムール セーター チたねもみ セイロ スパチュラ カーバ スキー トンカツ オーバ スパート ディーエー 激しい 地球 しらあや タンニン デラッ チャペル ブレスト オリーブ ウィン べにいろ バラード マレイド せっつ フローシー ファイター レランス ユート 甚兵衛 スウィング バイオ アーコ のつ国内 レトリ パッション セレブ オペック ケルビン メンヒル にらめっこ サンゴ とまこまい イアク

冠詞(かんし)とは、主にインド・ヨーロッパ語族やセム語派において、名詞の前または後に置かれ、定不定を示す限定詞である。

他の限定詞と同様、名詞句の中では一番外側にあるのが普通である。数や性、格が表示される言語では、冠詞はそれらに従って変化することが多い。

しばしば接語であり、また直後の語の発音によって変化することがある。たとえば、次の語の語頭が母音であるときに、次が子音であるときに比べ、母音を省略したり子音を補ったりすることがよく行われる。英語の定冠詞は、次が子音であるときに弱形の発音を持つ。

一部の言語では、前置詞と隣接するとき、前置詞と結合して縮約形となることがある。フランス語では縮約形を持つ組み合わせの時には、必ず縮約形を使わなければならない(例: de + le → du)が、ドイツ語では意味の違いで使い分ける(例: 通常は von + dem → vom だが指示的な場合は von dem のままとする)など、言語によって様々である。

なお、ロシア語やペルシア語のように、インド・ヨーロッパ語族でも冠詞がない言語もある。

冠詞の使い分けは、各言語に共通の傾向はあるが、違いもある。

定冠詞
定(文脈上、同定できるもの)を表す名詞の前に置く。

既出のもの。それ。
一つしかないと一般に認知されているもの。太陽(英語 the sun, ドイツ語 die Sonne, フランス語 le soleil)など。
その名詞が表すもの総体。…というもの。
固有名詞の前で使われることがある。英語では普通名詞を固有名詞として用いる場合(例:合衆国 the United States)、複数形の固有名詞の前(例:バハマ The Bahamas)。フランス語では国や川の名前の前、また特定の人名、都市名(例:ル・コルビュジエ Le Corbusier)。
形容詞を名詞化する。例えば、英語で the rich は「金持ち」を表す。
様態の付与を行う。例えば"The Nancy I know is really hearty."という文章では「私の知っているナンシーはとても心優しい」というようにあるものに対する話者の様態の意識を示している。
冠詞は単語の前に独立して付けられる言語が多いが、言語によっては、定冠詞は名詞の後ろに付いて、活用語尾のように見える。このような定冠詞を後置定冠詞と呼ぶ。北ゲルマン語群の他、バルカン言語連合のルーマニア語、ブルガリア語、マケドニア語、アルバニア語に見られる。

不定冠詞、部分冠詞
不定冠詞は、不定(文脈上、導入されたもの)を表す名詞の前に置く。単数形しかない言語と、単複両形がある言語があり、単数形には一般に、数の 1 を表す単語が用いられる(英語は例外)。前者の場合(英語の a/an、ドイツ語の ein とその変化形、オランダ語の een 等)は、不定の単数の可算名詞の前にのみ置かれて、名詞が複数の場合や不可算名詞の場合には、不定のものを表す名詞の前でも置かれない。後者の場合、例えばフランス語では、単数の可算名詞には単数形 un/une、複数の可算名詞には複数形 des が置かれる。

スペイン語、ポルトガル語には、不定冠詞の単数形からアナロジーにより派生した不定冠詞の複数形が存在する。

部分冠詞は、フランス語、イタリア語などに独特の冠詞で、不可算名詞のための不定冠詞と考えられる。起源的には、部分の属格から発生したもので、そのため属格の前置詞と定冠詞が合わさった形をしている。これは不定冠詞の複数形でも同様である。フランス語の場合は、属格の前置詞 de を用いて、不定冠詞の複数形(男女同形)は de + les → des、部分冠詞は男性形 de + le → du、女性形 de la となる。イタリア語の場合は、属格の前置詞 di を用い、不定冠詞の複数形は部分冠詞として扱われる。

これらの言語では、不定冠詞の複数形 + 名詞(複数形)または部分冠詞 + 不可算名詞の形で総称を表現することはできない。例えば、「私はりんごが好きだ」に対応する文は、英語ではりんごを無冠詞の名詞の複数形にする。

I like apples.
しかしフランス語では、不定冠詞 + 名詞(複数形)では総称にはならず、定冠詞 + 名詞(複数形)にしなければならない。

*J'aime des pommes. (誤り)
J'aime les pommes.
これは、不定冠詞の複数形が部分冠詞と同じく部分の属格に発しているため、不定冠詞の複数形 + 名詞(複数形)の形だと「全てではなくいくつかのりんご」の意味になるからである。同様に、「私はパンが好きだ」に対応する文は、英語ではパンを無冠詞の不可算名詞とする。

I like bread.
しかしフランス語では、部分冠詞 + 不可算名詞では総称にはならず、定冠詞 + 不可算名詞にしなければならない。

*J'aime du pain. (誤り)
J'aime le pain.

冠詞の機能
冠詞の機能は二つある[1]。一つは、名詞句の定不定を規定することで、これを談話機能という。定には定冠詞、不定には不定冠詞を用いる。現在の言語学では、冠詞を含む限定詞こそがいわゆる名詞句の主要部であるという DP 仮説(DP: Determiner Phrase、限定詞句)が主流になっている[2]。また母語話者の感覚でも、冠詞に名詞が付くのであって、名詞に冠詞を付けるのではない[3]。

もう一つは、名詞を可算名詞として用いているか不可算名詞として用いているかを規定することで、これを認知機能という。以下に英語とフランス語の不定の例を示す。

英語 フランス語 意味
可算 an apple une pomme 数えられる物としての単数のりんご
apples des pommes 数えられる物としての複数のりんご
不可算 apple de la pomme すりりんごなどの物質としてのりんご

英語では複数および不可算では無冠詞となる。これをゼロ冠詞と見なしても良い。複数名詞は複数形の語尾 -s を持つ。

フランス語では不定冠詞に単複があり、また不可算には部分冠詞を用いる。名詞は単複の違いはなく同音であり、正書法でのみ書き分ける。

総称表現と冠詞
冠詞は、総称表現と密接な関係がある。例えば、日本語で「ライオンは危険な動物である。」と言った場合、特殊な文脈でない限り、「ライオンは総じて危険である」という意味をなし、(どの1頭かは特定されないが)あるライオン(だけ)が危険だとか、特定のライオンだけが危険だということは意味しない。ここで、ライオンは可算名詞である。これに対応する文は、不定冠詞の複数形や部分冠詞のない英語では、

A lion is a dangerous animal. (単数不定冠詞、一般的)
Lions are dangerous animals. (複数無冠詞、日常会話的)
The lion is a dangerous animal. (単数定冠詞、図鑑の解説のような硬い表現)
*The lions are dangerous animals. (複数定冠詞、総称表現としては誤り)
である。この場合、単数不定冠詞においては多数から代表個体を抽出するという性質から、複数無冠詞においては固体全体を集合と見なすという性質から、また単数定冠詞においては定冠詞の抽象性の付与によるある個体と他の個体の間の境界を策定するという性質から総称的意味が現出する。

一方、不定冠詞の複数形や部分冠詞のあるフランス語では、

Le lion est un animal dangereux. (単数定冠詞、自然な集合としてのライオン全体)
Les lions sont des animaux dangereux. (複数定冠詞、たまたまそこにある集合としてのライオン)
Un lion est un animal dangereux. (単数不定冠詞、例外を許さない強い総称表現)
*Des lions sont des animaux dangereux. (複数不定冠詞、総称表現としては誤り)
である[4]。上記の各組の文はそれぞれニュアンスが異なり、いずれも補語の「危険な動物」は不定であり、主語の単数・複数と一致している。不可算名詞の総称表現、例えば、「ビールはアルコール飲料である。」に対応する文は、英語では、

Beer is an alcoholic drink. (無冠詞、一般的)
The beer is an alcoholic drink. (定冠詞、硬い表現)
である。一方、フランス語では、

La bière est une boisson alcoolique. (定冠詞)
*De la bière est une boisson alcoolique. (部分冠詞、誤り)
であり、部分冠詞 + 不可算名詞では総称にならない。

各言語の冠詞

英語
不定冠詞は不定の単数の可算名詞に付く。不定の複数の可算名詞や不可算名詞には冠詞が付かない。定冠詞は数や可算性とは無関係に付く。

定冠詞
the (子音の前では普通弱形の発音となる)
英語における定冠詞は標準英文法において原則話者とその対話者間においてある特定の物体を指すときに使われる。しかし、日常生活においてある物体が話者のみに特定されている際の使用傾向も見受けられる[5]。

また、 "the" の物体に対する特定性の付与という性質から、空間としての連続体を切り離しある特定範囲を示す働きが現出する。

この"the"の働きは以下4種に大別される。

川、島嶼部等の自然境界を人為的に定義する
例) the Philippines, the Mississippi River, etc.
"Mt. Fuji" 等が "the" による修飾を受けないのは川、島嶼部に比べ連続体としての空間から非連続体として認知しやすい傾向にあることに基づくとされている[6]。
大陸などの自然空間を人為的に定義する
例) the United States of America, the United Nations, etc.
複数構成単位からなるものをひとつの物体として定義する
例) the Adams, the Greens, etc. (アダム一家、グリーン一家)
様態の付与
例) That's not the Tom I know.(あれは私の知っているトムではない) etc.
不定冠詞
a (子音の前)、an (母音の前)

ドイツ語

不定冠詞は不定の単数の可算名詞に付く。不定の複数の可算名詞や不可算名詞には冠詞が付かない。

定冠詞
der とその変化形(性、数、格に応じて変化する)
不定冠詞
ein とその変化形(性、格に応じて変化する)

オランダ語
不定冠詞は不定の単数の可算名詞に付く。不定の複数の可算名詞や不可算名詞には冠詞が付かない。

定冠詞
de (通性単数・複数、中性複数)
het (中性単数)
不定冠詞
een

フランス語

不定冠詞は不定の可算名詞(単数・複数)に付く。部分冠詞は不定の不可算名詞に付く。

定冠詞
子音の前 母音の前
単数 男性 le /l?/ l' /l/
女性 la /la/ l' /l/
複数 les /le/ les /lez/

不定冠詞
子音の前 母音の前
単数 男性 un /œ?/ un /œ?n/
女性 une /yn/ une /yn/
複数 des /de/ des /dez/

部分冠詞
子音の前 母音の前
男性 du /dy/ de l' /d?l/
女性 de la /d?la/ de l' /d?l/

スペイン語
英語と異なり、スペイン語では主語となる名詞には原則的に定冠詞がつく。不定冠詞はその意味を強調するときにのみ使われ、無冠詞は主語では許されない。また、不定冠詞の複数形は「いくつかの」(英語の some)と同じように使われることが多い。

定冠詞
el (男性単数)
los (男性複数)
la (女性単数)
las (女性複数)
lo (中性)
不定冠詞
un (男性単数)
unos (男性複数)
una (女性単数)
unas (女性複数)
なお、女性名詞でも、a あるいは ha で始まる単語で、その音節にアクセントが来る場合には、el や un が使われる。

例: el agua (水)、un hada (妖精) cf. La Habana (ハバナ)、la ansiedad (不安)

また、中性形は形容詞を名詞化する際に使われる。

例: Lo maravilloso de esta ciudad es la gastronomía. (この街のすばらしい点は美食です。)

ポルトガル語
定冠詞
o (男性単数)
os (男性複数)
a (女性単数)
as (女性複数)
不定冠詞
um (男性単数)
uns (男性複数、綴り注意)
uma (女性単数)
umas (女性複数)

イタリア語

イタリア語は定冠詞を多用する。たとえば英語の my car は il mio automobile (*the my car) という。これは、英語の my が所有限定詞であるのに対し、イタリア語の mio は所有を表す形容詞だからである。

不定冠詞は不定の単数の可算名詞に付く。部分冠詞は不定の不可算名詞または複数の可算名詞に付く。

定冠詞
il (男性単数)
s impura の前では lo ただし母音の前では l'
i (男性複数)
母音、s impura の前では gli
la (女性単数)
母音の前では l'
le (女性複数)
不定冠詞
un(男性単数)
s impura の前では uno
una (女性単数)
母音の前では un'
部分冠詞
部分冠詞の語形変化は di + 定冠詞と同じである。

del (男性不可算)
s impura の前では dello ただし母音の前では dell'
dei (男性複数)
母音、s impura の前では degli
della (女性不可算)
母音の前では dell'
delle (女性複数)

エスペラント
エスペラントでは置くかどうか迷ったときは置かなくてもよい。数、性、格による変化はない。

定冠詞
la
母音を省略し l' とできる。詳しくはアポストロフィー#音と文字の省略を表すアポストロフィーを参照。

アラビア語

アラビア語の定冠詞には数、性、格による変化はない。名詞に定冠詞がつくと形容詞にも定冠詞をつける。イダーファ構文(所有格を用いた、A の B といった構文)の場合では最後の単語 (A) にのみ定冠詞をつける。不定冠詞は存在しないが、ほとんどの場合不定名詞の最後に n が付加される。

定冠詞
?? (al-)
定冠詞の後に太陽文字がくると太陽文字を促音で発音する。その際に前に名詞がある場合は定冠詞の a が発音されない場合もある。

???? (kitābun) ある本
?????? (al-kitābu) その本
?????? ?????? (al-kitābu l-jamīlu) その美しい本
?????? (as-safīru)その大使(? (s) は太陽文字)
???? ?????? (kitābu s-safīri) その大使の本(イダーファ構文)

2009年01月17日

エジプト第26王朝

エジプト第26王朝(紀元前664年 - 紀元前525年)は、第3中間期、または末期王朝時代の古代エジプト王朝。アッシリアがエジプトを征服した後、エジプトの管理を委ねられたサイスの王家による王朝を指す。このためサイス朝と呼ばれることもある。後にアッシリアの弱体化に乗じて独立を達成し、オリエントの四大国[1]の1つとして大きな影響力を発揮した。美術面ではサイス・ルネサンスと呼ばれる古王国を手本とした伝統回帰の動きが見られた。最後は新たにオリエント世界の覇者として現れたアケメネス朝の侵攻を受けてその支配下に入った。
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第26王朝の王家は、歴代の王名などから元来はリビア系であり、かつてサイスを拠点に下エジプトを支配した第24王朝の王家に連なる一族であったと推定されている[2]。マネトの記録では、第26王朝の最初の王はエチオピア人アンメリスであると記されているが、彼は第24王朝最後の王バクエンレネフ(ボッコリス)が第25王朝(クシュ)の王シャバカ(サバコン)に敗れ第24王朝が崩壊した後、シャバカによって任命された知事であろう。

同じくマネトの記録でアンメリスの次の王とされるのはステフィナテス(テフナクト2世)であり、前述の通り第24王朝の王家の一族であったと考えられている。ステフィナテスと、それに続くネケプソス(ネカウバ)の時代にはサイスの支配を取り戻していたが、第25王朝に何らかの形で従属していたものと考えられる。しかし、オリエントで勢力を拡張し続けるアッシリアがエジプトに侵攻してきたために大きなチャンスが到来した。

アッシリアのエジプト支配とサイスの王家
紀元前7世紀前半には既にオリエント世界最大の勢力となっていたアッシリアは、紀元前671年にエサルハドン王の下でエジプトに侵入した。第25王朝の王タハルカは戦いに敗れ根拠地であるヌビアへと追われアッシリアのエジプト支配が始まった。当時サイスを支配していたネコ1世(ネカウ1世)と、その息子プサメティコス1世(プサムテク1世)はアッシリアによってエジプトの管理を任され、それぞれ「サイスの王」、「アトリビスの王」という地位を承認された。

一方敗れた第25王朝ではタハルカの後継者タヌトアメンが体制を建て直し、紀元前664年に失地回復を目指して北上した。ネコ1世はアッシリアの従属王としてタヌトアメンと戦い、敗れて殺されたと見られる。これを伝えるのはヘロドトスで、彼によればプサメティコス1世もアッシリアへの亡命を余儀なくされたと言う。しかしアッシリア王アッシュールバニパルの再度の遠征で同年中にタヌトアメンが撃破され、第25王朝が終了すると、プサメティコス1世は再び王の地位を保証された。これをもって第26王朝の成立と見なされ、アッシリアの庇護の下でその勢力を確実なものとしていくことになる。

青銅の人間と『歴史』
プサメティコス1世の治世以降については、ヘロドトスの『歴史』に詳しい記録が残されている。ヘロドトスによればプサメティコス1世が王位についた頃、彼は他の下エジプトの支配者達と対立し、侮辱を受けた上に沼沢地帯へと追いやられた。彼らへの報復を望んだプサメティコス1世は、その方法を求めてプトの町のレトの宣託所に使者をやったところ、「青銅の男子らが海より出現する時、報復は遂げられん。」と言う神託が下った。プサメティコス1世は「青銅の人間」が自分を助けに来ると言うこの予言を不信の念を持って受け止めたが、間もなくイオニア系ギリシア人とカリア人の一隊が、略奪目的の遠征中にエジプトに漂着するという事件が起きた。彼らは上陸地点でやはり略奪を働いたが、青銅製の武具で武装していた。このような武装を見たことがなかったエジプト人は、沼沢地帯のプサメティコス1世の下で、「青銅の人間が現れて平野を荒らしております。」と報告し、これを聞いたプサメティコス1世は神託が実現したことを悟り、ギリシア人とカリア人達に莫大な報酬を約束して自軍に引き入れた。そして彼らの助けを得て、下エジプトの他の支配者達を撃破し、これを統一することに成功した[3]。

ギリシア人とカリア人達はその後恩賞を受け取り、ナイル川のペルシウム支流の「陣屋」に居住させられたが、後にイアフメス2世によってメンフィスに移され、王の護衛隊とされた。そしてギリシア人達は彼らによって、その後のエジプトの歴史を知ることができたのだと言う。

我々ギリシア人がプサンメティコス王以降後代にわたってエジプトに起こった事件を全て詳細に知っているのは、エジプトに定住した彼らと我々が交渉を持つに至ったからに他ならない。実際エジプト人と言語を異にする者でエジプトに永住したのは彼らが最初で、彼らが立ち退く以前に居住していた地域には船渠や住居遺跡が私の時代まで残っていた。[4]

エジプトの自立
ヘロドトスの記すプサメティコス1世と下エジプトの支配者達との戦いは、アッシリアの宗主権下において行われたものであり、反アッシリア勢力の統制という面も持ち合わせていたが、ともかくも下エジプトにおける支配が確立された。その後、彼は上エジプトのテーベに対しても自らの権威を承認させることに成功した。第25王朝時代よりテーベの長官の地位にあったメンチュエムハトはプサムテク1世の娘ニトクリスが、将来「アメンの聖妻」の地位に着くことを受け入れたことが端的にそれを示している。